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思い出の記録

妙高高原町立妙高中学校「50周年記念誌~思い出の記」より

第40回卒業生から第49回卒業生

卒業アルバム

第40回卒 岡田 秀美

 十年前の卒業アルバム『懐 歳月を超え思い出と出逢いたい』を久しぶりに本棚からとり出してページをめくっていくと、友達の顔、先生の顔、部活動、夏季鍛錬、修学旅行、体育祭などなつかしい場面ばかりでした。楽しく笑っていた思い出ばかりではなく、どちらかといえばくやしくて涙を流したことの方が強く覚えています。

 アルバムには載っていない毎日の学校生活も、心に残っています。勉強には頭をかかえていましたが、何でも話せる友達、尊敬できる先生が大勢いた学校へ行くのが、とても楽しかったです。 

 いろんな思い出を呼び起こす卒業アルバムを開くと心温かくなるのは私だけでしょうか。

妙高高原町関川762番地

第41回卒 野口 織絵

 そこで私は、子供から大人へと向かう危うい時間を過ごしたのであった。記憶はあまり鮮明ではないが、肉体が体感した微かな感覚として思い出すことができる。

 私は浮遊していた。狭い空間からガラス越しに映える外の世界は妙に楽しげで美しく自由に見えた。時折息苦しくなると口を魚のようにパクパクさせ、懸命にもがいた。狭いここでは、他者との距離が難しく、衝突寸前まで行く事態も起きたのだ。「早クココカラ出ナクテハ。」以外にもその日は早くやって来た。

 感慨に浸る間もなく私は外界へと旅立った。そして気づくことになる。あの狭い空間は、この世界の縮図であったということを。しかし悲嘆はしまい。心の有様で世界は変えられることを知ったのだから。

特別な友人達

第42回卒 坂本 麻佐子

 妙高中学校を卒業して7年間が経ちました。私は現在、上越市内の結婚式場に勤務しているため帰宅が遅く、休日も社外の友人とはほとんど会えません。今まで頻繁に会っていた友人とも疎遠になりがちです。

 そんな環境の変化の中でも、中学校時代3年間を過ごした友人達は今でも私の一番近くにいるような気がします。受験勉強で辛かった時に、毎晩勉強のあい間に12時に電話で励まし合った友達、自分も試験なのに数学の苦手だった私に丁寧に教えてくれた友達。彼女たちは今でも、私の健康状態を心配してくれたり、助言してくれたりと、元気づけてくれます。

 これからも中学時代3年間を一緒に過ごした彼女達は私の心の中で特別な存在であり続けることと思います。

鮮やかな中学校の思い出

第43回卒 金井 貴子

 やっぱり充実した毎日だったな、中学校生活を振り返るとまずそう思います。卒業してもう7年近くが経ちますが中学校の多くの思い出はついこの間のことのようです。

 遠足・夏季鍛錬・体育祭・合唱コンクール、そして修学旅行とどれもよい思い出であり、いつ思い返しても懐かしものですが、特に懐かしく思い出すのは3年の時の体育祭ではないでしょうか。禁止されているのを分かっていながらも夜遅くまで星野公園で応援コンクールの準備をしたこと、そして当日成功した喜び、先生方にはご心配をおかけしましたが、精一杯頑張った思い出です。

 そしてこうした思い出を一緒に作れたクラスメイト、いつも支えてくれた大切な友達に会えたことが何よりの喜びです。

恩師との出会い

第44回卒 酒井 隆雄

 中学校時代の思い出といっても、特別体育祭や文化祭などの行事に、思い出はない。そこで卒業してからも何度かお会いすることになる、S先生について書こうと思う。

 S先生は音楽の先生で、3年間お世話になった。2年の時に吹奏楽部に途中入部してからは、度々ご迷惑をおかけしてきたが、それでも先生はご指導してくださったものだった。先生は高校の先輩であり、クラブ(オーケストラ)のOBであったから、定演でも御一緒させていただいた。

 今私は、S先生に勧められ始めたコントラバスで大学に入り、演奏家になるべく勉強している。これも一期一会というものであろうか。

私の夏

第45回卒 竹田 正樹

 妙高の地を離れて初めて、その夏の納涼に気がつく。私が在学していた当時、(といっても5年程しかたっていないが)その夏は私にとって、特別に熱く感じたことを記憶する。

 水泳部に所属していた私は、リレーにおいて、全国大会出場に手が届く位置まで登りつめた。全国に名を轟かせるスキー部とは違い、水泳部としては初の試みであった。結果、健闘もむなしく、出場を逃してしまった。しかし、それ以上に、他の部員達と汗、涙を共にし、絶えず向上心を持って努力できた夏が、私にとっての最高の思い出であり、その努力は何らかの形として人生の糧となっていることを信じて疑わない。

 あの熱さを求めてか、未だ水泳をやめることができずにいる。

燃えた青春

第46回卒 星野 諭

 青春時代の初めは、無我夢中の野球部活動からのスタートでした。今から思えばすごい先生とすばらし仲間達と出会いによって、迷うことなく全エネルギーを燃やすことが出来、その影響は現在に及んでいます。

 先生は常に高い目標を持たせ、練習に温情はなく、道にはずれたことをする者が一人でもいれば全員丸刈り、先生も同罪として同じく丸刈りです。「責任」の重さを身を持って教えてくれたと思いました。感動でした!

 生徒会では、妙中・県中・全中・オリンピック壮行会など壮行の言葉を述べる立場となり、おかげで自身が「勇気」をもらい感謝しています。勉強とスポーツに「一心不乱」の3年間でした。50周年の妙中よ、経験をありがとう。

一番好きな場所

第47回卒 丸山 明香

 私の妙高中学校での思い出は、ただただ楽しかったということです。「休みなんかいらないのに。」といつも思っていたほど私は学校が好きでした。

 人数が少ないため、同じ学年で話したことのない人はほとんどいなく、みんなが友達で、先生方とも仲が良かったのを憶えています。もちろん楽しいことばかりではなかったのですが、私には妙中で過ごした一日一日が全て良い思い出として残っているのです。

 私たちは、あと少しで高校も卒業となり多くの人がこの妙高高原町から離れ、みんなと会う機会も少なくなると思います。しかし、どこに行っても、いつまでも中学の頃とかわらないあの頃のみんなであることを願っています。

雨の体育大会

第48回卒 川久保 衣里子

 私達の中学校生活最後の体育祭は途中から雨となってしまいました。屋内で行わなくてはならないくやしさと、当日まで一生懸命準備してきたパネルが無惨にも色落ち壊れてしまった悲しさとで茫然となってしまいましたが、それでも外で競技をしたいと、皆が泣きながら先生方へお願いしたことが鮮明に思い出されます。私たちの向こう見ずなお願いを先生方がいろいろと考慮してくださったことをうれしく思いました。皆の気持ちが一つになった大変感動的な体育祭でした。

 私の中学校3年間の思い出は、やりたいことを自由にやらせてくださった寛大な先生方と目標に向かって一緒に頑張った仲間とでいっぱいです。

ああ中学時代

第49回卒 皆見 大輔

 僕の中学時代を一言で言ってしまえば、部活と趣味に全精力を注ぎ、勉強はテスト前に丸暗記と、こんな調子を繰り返していました。

 先生から見れば、「とんでもないやっちゃ。」と思うのがほとんどと思いますが、僕には良い思い出でしたし、何とかやっていけました。個人的なことですが、僕は本当に忙しかったなぁと思います。野球部長をやり、指揮者をやり、事務局長とブラスにも挑戦し、とまあ本当にようやったなぁと思います。さらに極めつけは1年の冬に行った(アルペンカナダ合宿)、出来たら二度と思い出したくないですが、一応思い出です。

 こんな風に忙しい時でしたが、体を大事に(ケガしたけど)自分の目標とする生き方が出来たと思うんでとても早い3年間でした。

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