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Be Myoko 前妙高高原中 重野校長

ありがとうございました!

前妙高高原中学校長 重野 準司



 縁あって妙高高原中学校に赴任させていただいてから、もう3年が過ぎました。力不足の私が、何とかここまで勤め、定年退職させていただけるのは、保護者の皆様並びに地域の皆様に支えていただいたからこそと、心より御礼申し上げます。

 特に、この2年間はコロナ禍ということで、いつ、どこで感染の危機にさらされるかわからない中での学校生活を余儀なくされました。そんな状況で、保護者や地域の皆様には、感染防止の観点から、最大限のお力添えを賜りました。その甲斐あって、少なからず影響はあったものの、ここまで臨時休業や学級閉鎖等の措置を講ずることなく、学校生活を送ることができました。学校としては、備えあれば憂いなしということで不測の事態には常に備えておりましたが、今日までそれを実行に移す必要がなかったことは、本当に有り難かったと、改めて実感しています。

 さて、せっかくの機会をいただきましたので、少し紙面をいただいて、この3年間を振り返らせていただきます。


 1年目、一番強烈な記憶として心に焼き付いているのは、当時3年生の池田遼一さんの全

中スキー大会の2種目制覇です。その冬は暖冬で、少雪のためにスキー大会が実施できるかどうか、本当に心配しました。雪不足のために練習もままならない状況の中で、遼一さんをはじめ、本校の選手たちは高い目標をもって、自分に厳しく、できることを精一杯やって大会に臨みました。遼一さんは、オリンピックのジュニアの強化指定選手ということで下馬評も高く、大会前から優勝候補と目されていましたが、その分、プレッシャーの大きさも想像を絶するものがあったと推測します。試合当日、私も野沢温泉のクロスカントリーコースに応援に行きました。雪が舞う中で競技がスタートしましたが、遼一さんは予想通り、力強く、美しいフォームで、他の選手との格の違いを見せつける滑りをしました。ゴールの瞬間をカメラに収めたくて、ゴール地点で待っていましたが、最後の最後まで力強さは変わることはなく、圧巻の滑りでした。すでに1種目で優勝を果たしていたので、人々の関心は、2種目制覇なるかということでした。


ゴールした瞬間、その場にいた人々の視線は一気に電光掲示板へ注がれました。そして、一番上に記録が表示された瞬間、「おおー」とどこからともなくどよめきが起こりました。優勝、そして全中2冠が決まった瞬間の、あの血湧き、肉躍る興奮は、今でも鮮明に覚えています。遼一さんの活躍があまりにも華々しかったので、その影に隠れてしまうような形になってしまいましたが、もう1人、フリーで7位に入賞した芦野清志郎さんの活躍も忘れてはいけません。2人に共通していたことは常に高い目標をもって努力したことです。この快挙は、全中出場のみならず、上位入賞を強く意識して練習を積み重ねた結果だったと実感しています。


 2年目、ご存じのとおり、コロナ禍が学校生活に大きく影を落としました。前年度の3月から学校が臨時休業となり、学校から生徒の姿が消えました。4月、学校は予定通り再開されましたが、部活動は中止を余儀なくされ、5月末まで全く行われませんでした。しかも、中学校体育連盟主催の全国大会の中止が5月の連休明けに決定され、それを受ける形で、夏までの地区大会、県大会、北信越大会も全て中止となり、3年生にとっては部活動の目標が失われる事態となりました。それまでの頑張りを目の当たりにしてきた保護者の皆様や関係の皆様、私たち学校関係者は皆断腸の思いでしたが、何より3年生自身のショックは察するに余りあるものがあったと感じています。


   それは吹奏楽も同様でした。私がこの2年目で一番心に残っているのは、吹奏楽コンクールもマーチングコンテストも全て中止になったにも関わらず、10月の学習成果発表会で、吹奏楽部は見事なマーチングの演奏・演技を披露してくれたことです。コンテストが全て中止になったのに、どうして演技を披露することができたのか。実は、そこには、伝統をここで途切れさせてはいけないという顧問や部員の切なる思いがありました。マーチングは特に先輩から後輩への引継ぎがものを言います。しかし、丸一年マーチングをしないと、その引継ぎができないことになり、再開は困難を極めます。そのことを知っていた顧問や部員たちが、伝統を引き継ぐことを目的に、学習成果発表会で演技を披露するためだけにマーチングを創りました。当日は、オープニングであの迫力ある演奏が披露されました。とてもこの日のためだけに創ったとは思えないキレッキレの動きと笑顔で、会場の全ての人々を魅了しました。あの日の感動は絶対に忘れられません。


 3年目、やはり記憶に色濃く残っているのはズバリ妙光祭。そのインパクトが強すぎて、他には思い当たりません。今までも何度も妙光祭については触れてまいりましたが、これぞ高原中学校の新たな伝統だと言わんばかりの、鮮烈デビューを果たしました。

そもそも、妙光祭は年度当初は年間行事計画にありませんでした。しかし、7月のある日、生徒会担当の先生から、10月の学習成果発表会の午後の時間を使って、生徒会主催のイベントをしたいとの提案がありました。しかも、その第一の理由は、日ごろお世話になっている地域の皆様に少しでも感謝の気持ちをお伝えする機会にしたいという生徒自身のたっての希望ということでしたので、その思いに賛同し、取組がスタートしました。

 この妙光祭の一番の意義は、単に新しい行事であるということではなく、とにかく生徒主体で準備も当日の運営も行われたというところにあります。もちろん100%というわけではありませんが、生徒ができることは徹底的に生徒がやりました。今でも印象深く心に残っていることは、1つには、人が集まることで懸念される感染症対策についても、全て生徒の手で計画されました。新しい生活様式の習慣化に取り組んできた生徒は、自らの経験や情報端末機器(iPad)で収集した情報をもとに、当日の感染症対策を自分たちで考え、自分たちで計画しました。2つには、当日の運営に必要な役割やその分担についても、すべて生徒が考え、その全校生徒への説明も、すべて自分たちで考えて、実施しました。本番を週末に控えたその週の生徒朝会は、当日の動きや注意事項を関係生徒に周知する時間として使われました。各部門のリーダーを務める3年生から、それぞれの部門に所属する生徒に役割分担とその役割に必要な注意事項等が事細かに伝達されました。


 私はその様子をその場で見ていましたが、リーダーの態度や発言内容があまりにも立派でしたので、さぞ入念に事前指導をしたのだろうと思って担当職員に確認したところ、特別な指導はしていないということでした。生徒主体という言葉は、まさにこのことを言うのだろうと、改めて生徒の潜在能力の高さを実感しました。


 最後に、36年間の教員生活を妙高高原中学校で終えることができて、本当に良かったと思います。素晴らしい生徒、教職員、そして、保護者の皆様並びに地域の皆様に支えていただいたおかげで、何とか自身の責任を全うすることができました。これからは、高原中OBの一人として、高原中を応援させていただきたいと思っています。高原中、最高です。長い間、本当にありがとうございました。




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