卒業生から在校生へ地域の人へ、妙高をテーマにしたエッセイです。
今回は1986年卒業の山川 信輔(やまかわ しんすけ)さんです。妙光祭では中学生たちとの地域コラボ商品でオリジナル菓子製造にご協力いただきました。中学生へのエールを込めて人生転機のお話しです。
〜スキージャンパーから菓子職人へ〜 山川 信輔(1986年卒業)
こんにちは。私は山川信輔といいます。妙高で「もちや菓子舗」という菓子店を営んでいます。
今日は私のちょっと変わった経歴と、そこから学んだことについてお話をしたいと思います。
私は今から36年前に妙高高原中学校(当時は町立妙高中学校)を卒業しました。ジャンプ部に所属し、毎日練習に励んでいました。そのままスキーを続け高校、大学、そして就職もコンバインドジャンプの選手として札幌の実業団に就職しました。試合や合宿で海外にも行き、生活の全てはジャンプ中心でした。28歳で現役を引退するまで仲間、コーチ、環境にも恵まれ幸せなスキー人生を過ごせたと思っています。
さて、現役引退が決まりこれからどうするか?ということを考える事になります。
このまま会社に残り会社員として働くか?
ジャンプのコーチになるか?
自分には何が出来るのか?
何がしたいのか?
特に何の資格もない、スキーしかしてこなかった自分には何もありませんでした。ただ、お菓子を作る事は好きで、休日にはお菓子や料理を作っていました。でも、趣味程度です。考え悩んだ末「菓子職人になろう!」と決心し会社を辞めました。それから、製菓学校へ入学します。28歳です。10歳も年下の学生達と机を並べ、勉強し実習を重ねました。その後は製菓店へ就職し修行を積み妙高へ帰ってきました。
選手時代も菓子職人修行時代も、今も大変な時も困った事もたくさんありました。でも、それらをなんとか超えてこられたのは、自分が様々な体験を通して学んだ事や、仲間や周りの人の支えのおかげです。そこから、解決の糸口を見つける事が出来ます。簡単に諦めたり、辞めたりしては学ぶことも、本当の楽しさを感じる事も、支えてくれる人に出会う事も出来ません。
人生は何が起こるかわかりません。今、目の前にある様々な体験するチャンスを素通りすることなく向き合ってほしいと思います。きっと、その先に自分の生活の「楽しい!」を見つけることが出来るはずです。
私は今年51歳になりました。スキー選手から菓子職人を志し23年が経ちました。今でもタイマーをかけ忘れ、シュークリームを真っ黒にする事もあるし、同じに仕込んだはずのものが違う出来になる事もあります。お菓子は生き物です。温度や湿度、計量や時間だけでは図れない感覚や勘も大事です。私はこの自然豊かな妙高でお菓子を作りながら、皆さんのことを応援しています。
[後記]
妙高温泉にある「もちや菓子舗」さん。ご自宅で食べるケーキやお饅頭だけでなく、小中学校の式典やスポーツファスティバルの優勝の菓子でもお目にかかっています!地域に根ざしたお店として菓子職人としてのご活躍が楽しみです。妙高山の形の「妙高サブレ」はお土産に大変喜ばれますよ。
「Hello Myoko」卒業生のエッセイ大募集です。インタビュー形式も行っています。是非myokokogen.jhs@gmail.comまでご一報ください。
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