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Hello Myoko No.14 稲川光伸さん

Hello Myokoは卒業生から在校生へ地域の人へ、妙高をテーマにしたエッセイやインタビュー記事です。


今回は1989年卒業の稲川光伸さんです。1989年=平成元年に高校生となった稲川さん。現役選手兼指導者のプロスノーボーダーとしての活躍をお聞きしました。


 

〜スノーボードで駆け抜けた平成そして令和〜   稲川 光伸


プロスノーボーダー、JSBA公認妙高山スノーボードスクール開講、旅館飲食店経営(ほてる千家・ラーメン亭チヤ・ミスターバーガー)妙高市赤倉温泉在住


中学時代の思い出


 自分の中学時代は不良映画やドラマが流行っていた時代で中学の雰囲気は荒れてました。人数も多く2クラスありました。勉強はできなかっけど楽しかったです。現在、中学生の息子がいますが、今の子は優しい子が多くみんな仲も良いですね。

 騎馬戦、パネルとかに情熱を傾けた体育祭が思い出ですね。紅軍青軍の応援合戦も。生徒も保護者もいっぱいいて盛り上がってよかったですよ。


 小学校はアルペンスキーをやって信越学童の大会にも出ていました。スキーのコーチが厳しくて寒くてちょっと嫌になって、中学では陸上部で中距離。大会もただただ出てるだけでしたけど...

 勉強も良くなく、足も速い訳でもない中学時代でした。


雪から離れた高校大学時代からスノーボードへのきっかけ


 小学校はスキーをやったけど、一度雪の上が嫌になって中学でスキーやった記憶がないです。中学から自営の宿が忙しく手伝いをしていました。新井上越方面の高校生達がアルバイトに来ていたので、アルバイトの人たちと一緒に過ごすのが楽しかったです。高校もスキーもせず部活にも入らず、宿の手伝いをしていわゆる帰宅部でした。高校時代は中学の反動か勉強を頑張って大阪の大学へ推薦で入りました。


 大学4年生の冬にアルバイト先の先輩から「スノボ行こうや」と誘われて、何の道具もなく先輩に道具一式を借りて、ウェアはウィンドブレーカーを着て、グローブは軍手をして初めて行って「あ、スノーボード面白いな」と感じましたね。スノーボード人気の中、興味がなかったけど誘われて行ったのがきっかけとなり、赤倉へ帰った時もやってみようと思いました。


プロスノーボーダーとして人生


 当時、赤倉全面スノーボード滑走禁止だったのが、その年から銀嶺スキー場だけが滑走可能になり、スノーボードを購入して銀嶺で毎日滑りに行きましたね。銀嶺にスノーボードスクールが一つだけ出来てバッヂテストも受けて、指導員の資格まで取って技術選にも出るようになりました。大学卒業後一年間、大阪でホテルのブライダルで修行していましたが、スノーボードがやりたくて赤倉へ帰ってきました。


 スノーボードを始めた2〜3年は、ジャンプの大会にも出て優勝もしましたが、怪我をしてジャンプが出来なくなったので、滑るだけのバッジテストを受けるようになって基礎に入っていった感じです。JSBAデモンストレーターを6年やって、スノーボードアルペンレースにも出てましたが、今は技術選だけです。

 技術選に出場して結果を残せるようになるとオガサカやウェア等一式スポンサー契約を結べるようになりました。そこからライダーとして20年以上プロを続けています。今も大会も出ているのでスポンサー契約もアスリート契約なんですよ。全日本トップテンには入って頑張ってます。出来るところまで頑張りますよ。プロスノーボーダーで活動しながら執筆もやって、DVD付きHow Toの技術本をまとめて10シリーズ累計20万部ほど出しました。



スノーボードで駆け抜けた平成


 赤倉へ戻って2〜3年後に関山で全日本ウィンタースポーツ専門学校が開校して講師になり、同時にリゾート&スポーツ専門学校でも名古屋の室内スキー場で滑走と授業を行い、大阪で授業して新幹線で戻るという生活になって20代は忙しかったですね。

 今も全日本ウィンタースポーツ専門学校で教えています。長年講師をしていますが、オリンピック選手もいたり、輩出した選手が業界で活躍しています。


 赤倉では12月からシーズン終了まで活動し、それからは山形の月山に拠点を移して月山スノーボードスクールで7月の半ばまで活動しています。デモンストレーターになるデモ選のコブ種目でラップが取ることで出来て、コブをセールスポイントにしているので、コブのイメージが強いかもしれません。毎週末開催のキャンプにも各地から来られます。オフシーズンの夏も標高2700M万年雪の乗鞍大雪渓や富士山麓の人工芝の場所で毎週末キャンプを開催し、中日は関山のウィンタースポーツ専門学校で座学を教えと夏はその繰り返しです。スクールは自分よりスノーボーダー歴が長いプロスノーボーダーのカミさんが仕切ってやっています。同じスポンサーの先輩選手で知り合いました。



大会も開催⁉️


 赤倉でジャンプ台を使用して「Dead or Alive」の優勝賞金50万円の大会は3年やりましたけど、賞金を集めるのが大変でやめました(笑)ジャンプ台を飛ぶのではなくてランディングを加速で使って飛ぶので、ジャンプの飛び出しから着地まで20M。25M飛ばないとちゃんと着地出来ないんですよ。参加選手は一流ライダーばかりでしたけど、みんなプールひとっ飛びの25Mなんて飛んだことないんですよ。公開練習でさすがそれなりの形になってましたね。面白い大会でしたけど、運営は大変でした。


そして令和のスノーボード


 現在中学生の息子もスノーボードをやっていて、大会に出たいから陸上部に所属して、冬はスノーボードの大会をメインで練習しています。この辺では高校でも部活としてスノーボード部はないですね。


 雪山のある妙高でスノーボードをやっている子供が少な過ぎますね。小学生でスキーやって、中学で続ける人、そこでやめる人、そこからスノーボードを続ける人がいないですね。それは残念です。スノーボードはストリートファッションでスタイリッシュ的なところから入ってきているので、若い人に人気があるので地元の子供たちもやればいいと思います。スケートボードやサーフィンをオフトレでやっているパターンも多いですね。


 スキーでもスノーボードでもいいからやってみて、技術が向上すると好奇心も出てくる楽しさもあり、その先も広げていくと、とにかく友達が増えます。今の時代、SMSで地域の良さも発信することで全国に友達が広がり、ビジネスにもつながっていくチャンスがあります。


 学校が腰を上げてもらって、小中学校の授業でスノーボード体験を取り入れてもらえると底辺の広がりも変わると思います。将来的には中学部活としてスノーボード部があって強い選手の育成に携われるといいなと思いますね。


妙高で一番好きな場所は?


 関山の田んぼが広がる線路の向こうに見える妙高山の風景が大好きですね。落ち着くし妙高山の凄さを一番感じます。


 

[後記]

スノーシーズン直前で多忙を極める中、快くインタビューを引き受けてくださいました。執筆もされているのでいつかエッセイもお願いしたいですね。小中学生のスキー部も大会目指し、練習に精を出すスノーシーズンです。スキーシリーズを連載していきます。

稲川さんのYouTubeも是非ご覧ください。


「Hello Myoko」卒業生のエッセイ自薦他薦大募集です。インタビュー形式も行っています。是非myokokogen.jhs@gmail.comまでご一報ください。



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