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  • 執筆者の写真CS委員

Hello Myoko No.23 曽根原郷さん

更新日:2022年9月27日

Hello Myokoは卒業生から在校生へ地域の人へ、妙高をテーマにしたエッセイやインタビュー記事です。


今回は2009年卒業の曽根原 郷(そねはら ごう)さんです。今春に妙高へ戻り一歩を踏み出した新しい人生のステップと、改めて感じる地元への思いを新施設に伺ってインタビューしました。

 

〜スキー選手から次の人生へ〜  曽根原 郷

 妙高市在住


 一般社団法人

 妙高ツーリズムマネージメント職員


妙高市テレワーク研修交流施設

「MYOKO BACE CAMP」勤務





中学の思い出


 生徒会長をしました。冬も夏も遠征や合宿でほとんど学校にいなかったのですが、周りのみんなに助けてもらって何とか1年やらせて頂きました。会長になろうと思ったきっかけは、正直、先生方に薦められた部分が大きかったですね。生徒全体的にはこういうことをしましょう!こういうことがいいんじゃないですか?と提言すると素直に同じ方向を向いてやってくれたので、人数は多くはいなかったけど、団結力、チームワークが強かったです。

 学年48名2クラスだったので、全校で150名程いました。現在、妙高市全体で1年間の出生数は150人くらいと聞いたので少ないですよね。


 あとは部活です。顧問は金子先生で、理科の先生でスキー未経験でしたが、スキーの練習の取り組み方やスキー以外の生活指導や選手としての心構えを熱心に教えていただきました。顧問が金子先生で本当に良かったですし、感謝しています。


スキージャンプとの出会い


 小学5年生からジャンプを始めました。きっかけは、自宅近所の同級生、清水礼留飛(しみず れるひ)君と登下校も遊ぶのも一緒で、彼は小学校1年生からジャンプを始めていて、一緒にやる同級生がいないのでずっと誘われていました。ただ、ずっと断っていました。(笑)僕は北小で1年からクロスカントリースキーをやっていました。5年生の時に礼留飛君のお父さんの清水さんに「練習を見に来い」と言われ、赤倉シャンツェジャンプ台へ行ったら道具が全部準備されていて、「じゃ、飛べ!」と言われ、飛んだら意外と楽しかったです。


 最初は、他の人と比べて上達が遅かったのですが、続けていくうちに試合でも上位に入れるようになりました。小学校の時は何となく続けていましたけど。中学の部活でジャンプ部かクロカン部か迷って、ジャンプならクロカンも出来るのでジャンプ部を選びました。1年の時は部員が4人。2年の時は礼留飛君と2人、3年の時に新入部員飯塚君が入って3人でした。


 中学の時は、全国大会で10番以内に入賞したいと思っていましたが、本番では緊張して空回りでうまく力が出せないタイプでした。思うような結果が出せなくて、結構悔しい思いをしました。


 新井高校でもスキーを続けて、中学時代よりスキー漬けでしたね。今思えば、他のことを色々しても良かったかな。高校3年生頃から全国大会の表彰台へ上がれるようになりました。その頃から成績が出始めました。


 スキー推薦で東京の大学に進学し、卒業後は札幌の実業団チームに所属しました。就職先はスキーをどうやって続けるか、スキーができるところを探し、ご縁があり社会人として東京美装で6年間続けました。




ノルディック複合競技を続けた原動力は?


 自分が成績を出したい気持ちよりも、オリンピックに出てその姿をお世話になった周りの方々に見てもらいたい気持ちが強かったですね。8年前、礼留飛君がソチオリンピックでメダルを取った頃から、オリンピックを意識するようになりました。U20ジュニア世界選手権、ユニバーシアード、ワールドカップ等の世界大会に出場することはできましたが、世界のトップはレベルが違うのとレースに対する選手のガツガツさ、生きるか死ぬか的な精神力に足りない及ばない部分を感じました。初めてのワールドカップでは特に叩きのめされました。(笑)でも、海外の大会の方が楽しかったですね。沢山の国に行くことができましたし、選手との交流もあり友達になりました。


 今年3月で引退しました。今年の冬季北京オリンピックに出場できなくて、次の4年後は目指せないかなと。限界を感じたわけでは無いですが、自分の中では厳しいなと感じました。


 そして、新しいことを始めたいなと。今までずっとスキーをしてきた人生だったので、新しいステップ、違うステージで何かしてみたいと。

 引退して妙高へ戻ってきた際に、地元の知り合いの方に妙高ツーリズムマネージメントの誘いを受けました。


妙高へ戻って


 年に数回、試合や練習で妙高へ帰って来て、妙高山を見ると安心しました。離れていてもずっと気になる自分の故郷で、帰ってきたら安心できて落ち着く場所でした。妙高には「何も無いじゃん」と思っていたのが、妙高へ帰って来て山や川や池や滝とかこの自然があるのがいいんだなと今まで気付かなかった自然の豊かさを感じています。


テレワーク研修施設に勤務してみて


 今まで妙高になかった施設で、新しい事業や色々な方々が来訪する施設で働けることは嬉しいです。

 ここは仕事や勉強やオンライン会議やセミナーができる施設です。コロナ禍でテレワークが増えてこういう施設も増えて来ていますが、他と違って、国立公園内の自然の中にある施設は全国でも少ないですね。

 仕事で疲れた時は窓を開けて外を見て、自然の音を聞いて気持ちを落ち着かせたり、周辺のいもり池を散策するなど普段と違う新しい気持ちで仕事も出来るのがいいじゃないでしょうか。自分自身も夕方外に出たときに妙高山が大きくバーンと見えるのが気持ちいいですね。


 8月1日からeバイクのレンタルも始まっています。今後の利用促進に向けて、モデルコースの紹介も検討中です。妙高高原観光案内所と赤倉方面2カ所でサイクルポート乗り捨てが能なので、車を使用しない地球に優しいエコな移動手段が事業目的です。いつもは車で通る風景も自転車で走ると違った景色の感じ方が出来たり、五感で自然を感じながら楽しんでもらいたいです。世界的傾向のSDG’Sとして妙高市の先駆的な取り組み事業です。拡がることで人にも地域にも優しい妙高市を目指しています。研修交流施設でのマッチングが妙高での新規事業につながり、地域問題解決や妙高への移住など人口減少改善にも繋がるといいですね。

 妙高から外に出た若い世代の方々にも、テレワークで日中こちらで仕事しながらご実家やホテル旅館に1週間くらい滞在したり、家族連れでも仕事が出来る場所があるので利用して欲しいですね。


 テレワーク研修交流施設やビジターセンターが新築されて、妙高もだんだん変わって来ていると思うので、そういう部分も見て欲しい。学校卒業後、残って住む人は多くはないですが、お盆や正月に帰省する人は多く、ちょっと疲れる世の中ですし、自然で癒される人も多いと思うので、僕も含めて、そういうところに魅力を感じている人がたくさんいると思います。


妙高の好きな場所は?


 自宅の裏山から見る妙高山。妙高高原駅裏の兼俣が実家です。元スキー場にテレマークスキーで上がるのですが、そこから見る青空が広がっている冬の妙高山が大好きですね。


中学生へ


 今は沢山の情報が溢れていて、自分で調べればなんでも見れる世の中なので、それを上手く活用して色んなことを見て欲しいですね。

 日本中も世界中も色んな景色があるので、若い中学生のうちに色々なことを知って見て自分で感じて欲しいです。


僕に連絡をください!


 久々に妙高へ帰って来て、妙高を盛り上げるために、魅力を知ってもらうために一生懸命頑張るので、「何かあった際には私の方へご連絡をください!」

 ふるさと納税の拡充や妙高といえば!となる新商品開発事業も行っています。


 

[後記]

まずは体験!と思い、テレワーク研修交流施設「MYOKO BACE CAMP」へパソコンを持って出向きました。静かな環境と整った施設で作業が3倍はかどりました!地元出身の若い世代が、これらの施設で働いているというのは心強く、未来を感じます。清々しく人懐っこい曽根原さんを頼ってまずは地元の人から施設を活用して、応援しましょう。


「Hello Myoko」卒業生のエッセイ自薦他薦大募集です。インタビュー形式も行っています。是非myokokogen.jhs@gmail.comまでご一報ください。






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