Hello Myokoは卒業生から在校生へ地域の人へ、妙高をテーマにしたエッセイやインタビュー記事です。
今回は1996年(平成8年度)卒業の長崎和志(ながさきかずし)さんです。
妙高高原中でも講演をされている車いすバスケットボールの活動。その紆余曲折な人生をお聞きしました。
〜障害者スポーツと家族の大切さ〜
長崎和志(1996年卒業)
会社員、長野市印刷会社勤務のデザイナー。
妙高高原関川在住。
Q:中学校の思い出
憧れの先輩のいるバスケットボール部に入部し、最初はなかなか勝てない弱小チームだったけど、顧問が変わり勝てるようになり、練習も厳しくなってきたけどそんな練習の日々を過ごした事が思い出です。
Q:妙高高原の好きな場所
スポーツ公園です。高校時代は部活には入らず帰ってきたら、みんなバラバラの学校だったけど、夕方自然に集まるようになってスケボーやバイクに乗ったりみんなでワイワイしていた事が一番の思い出であり、好きな場所です。
Q:中学生へ
怪我をして車いすバスケットを始め、辛い練習や上手くいかないことがあり、何度か辞めようと思ったことがあったけど、それでも諦めず踏ん張って17年間今も続けています。続けることで新たに気付いたことや少しずつできるようになったことがありました。つまずいた時、壁にぶつかった時、辛いけど踏ん張って、もう少しでいいから続けてみてください。
結果が出るかもしれないし、結果が出ないかもしれないけど、続けてきたことが次の人生の力になると思います。もうひとつは、この先高校、大学と進む上で何か新しいことを始める時は、決して自分ひとりの力ではできない、必ず誰かの助けや協力がなくてはできないことなので、人への感謝の気持ち、道具を大切にすることを忘れないで欲しいと思います。
Q:怪我のこと
24歳の時にスノーボードの転倒で怪我をしました。
新潟市の友人達とスキー場へ行き、最後一本を滑っていた時、夕方で雪も硬くなっていてキッカーを飛んだ時にバランスを崩してお尻から転倒しました。意識はあったけど痛みとともに、その時にすでに足の感覚がなく、動きませんでした。すぐに病院へ救急搬送され、その日の夜に手術をしました。脊髄損傷でした。
事故当時一緒にいたのが今の妻の康子です。目の前で転倒を見て病院にも同行し、翌日仕事にもかかわらず、夜の手術が終わるまで寄り添ってくれました。毎週病院へ来てくれて4ヶ月の入院生活やリハビリと心の支えになってくれました。新潟市で内装業の仕事でしたので退職し、妙高高原へ戻ってきました。
当時結婚を前提で妻とお付き合いをし、妻の家族とも仲良くしていましたが怪我をしてから妻のお父さんの反対が5年間続きましたが、なんとか2人の想いが届き、結婚することができました。色々あったこの5年間の経験は自分の人生の中の大きな財産となりました。
人生が180度変わって歩いたり走ったり今まで当たり前だったことが当たり前ではなくなって、改めて当たり前の生活が大切なんだと感じました。だからこそ一日一日を大切に過ごして、支えてもらった家族、友人への恩返しとして前向きに生活しています。
Q:仕事
今の職場は、長野市の社会福祉法人の印刷会社でA・コープのスーパーのチラシをデザインしています。
怪我をしてから10年勤め、一般企業でも働いてみたく長野市の(株)サンクゼールに転職し2年半デザイナーとして勤め、また今の職場に戻りました。デザイナーとして自分の表現したモノを作ることができるやりがいのある仕事です。
※車の運転は手動装置という装置を付けて手でアクセル、ブレーキを操作し運転できます。
Q:車いすバスケットボールの魅力
一人一人障害の程度によって点数が付いていて障害の軽い人は体のバランスがとれるから高い車いすに乗れるポイントゲッターです。私は腹筋背筋があまりきかなくバランスが取りにくいので低い車いすに乗り、いかにポイントゲッターをゴール下まで導いて点数に繋げて、自分でもシュートを決めたり仲間とのコンビネーションや車いすならではのスピード感が魅力です。
今は健常者も選手として登録できて一緒に試合に出れるようになったので競技人口も増えてきました。健常者も障害者も一緒にプレイできるのも魅力です。興味がある方は体験できますので是非体験してみましょう。私は長野市のK9ながの(ケーナインながの)のチームで活動しています。
Q:with車いすの人生
車いすバスケットを始めた頃は、単純に上手くなりたいからと思っていましたが、今は子供の成長とともにお父さんが車いすってことが気になる時期がくると思います。そんな時に子供が誇れる父親になれるよう、友達に自信を持って気にせず言えるよう、頑張っている姿を見て欲しく日々頑張ろうという気持ちに変わりました。
他に車いすマラソンも4年前に始め、コロナ前は全国の大会に参加し10km、ハーフマラソン(20km)を走ることが多いです。京都府での5人1チームの駅伝もあります。チェアスキーも子供がスキーをす
るようになったので子供と一緒に滑りたく始めました。
怪我をして家族の大切さを実感したので家族との時間を大切にして練習できる時間を作ってくれている家族の理解と協力にいつも感謝しながら過ごしています。
最後に車いすバスケットの講演会、体験会は昨年は上越地区の小中学校で6回行いました。妙高地域の方にも障害者スポーツのことを知ってもらう為に小中学校で授業の一環として講演会、体験会をしていけたらいいなと思っています。
[後記]
かつて中学での講演会をお聞きした時に、とにかく明るい人だなと印象に残っていました。それから数年後、電話インタビューを通してまた新たな挑戦やご自身の人生の幅を広げて体も心も大きくなり、温かなご家族が目に浮かぶ長崎さんでした。
「Hello Myoko」卒業生のエッセイ自薦他薦大募集です。インタビュー形式も行っています。是非myokokogen.jhs@gmail.comまでご一報ください。
ความคิดเห็น