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  • 執筆者の写真CS委員

Hello MyokoNo.27 高木 いくの さん

 Hello Myokoは卒業生や地域の方から在校生へ地域へ、妙高をテーマにしたエッセイやインタビュー記事です。


 今回は1991年卒業の高木いくの(たかぎいくの)さんです。今春開校の妙高高原小学校校歌の作詞作曲を手掛け、この夏から本格的にライブを始動される歌手活動について、子育てについて、ハツラツと笑顔いっぱいのインタビューでした。


 


〜母として歌手として〜 高木 いくの(1991年卒業)









妙高市在住

歌手


現在は?


そろそろ仕事しなきゃと思ってます(笑

 昨年8月に予定していたワンマンライブがコロナ感染者急増の影響で中止となりました。一昨年アルバムを出して昨年はライブ開催に踏み切ったのですが、コロナ禍やマネージャー不在などでわたしが溢れてしまい、それが息子に影響してしまって。。

 ライブ開催まであと3週間だったのですが、止めるという決断をしました。


 それからは息子が元気になることしか考えてなかったんです。

 昨年4月、新年度を迎えてから息子の様子に変化がありしばらくして不登園になりました。コロナの影響もあり園の環境にも変化があったり、家に帰れば色々追い詰められている母親だし息子こそ大変だったかと。。ここでライブをやめたら、もう二度と仕事に戻れないかもと思ったりしましたが、ある朝起きて彼の表情を見て3秒くらいで「やめよう」と決めました。


 ライブは生きていればいつかできるかもしれないけど、息子の心が壊れたらわたしも生きていけない…。やめることに腹が決まりました。それから息子と二人旅に出たりしました。小学校に上がって落ち着くまで、他のことは考えてなかったです。いちばん強烈だったのは、「ボクが生まれなかったらもっと仕事できたのにね…。」と言わせてしまったことです。目の前が真っ暗になりました。

 わたしは何やってるんだろう。。って…もしかしたら小学校も行かないかもしれないと思っていたのですが、昨秋に、やっぱり同世代の子を欲しているんだなと感じたので園に行けるようにどうやってタイミングを作ったらいいか考えていたら、わたしがそんなに焦らなくてもちゃんとタイミングが来て、また保育園へ通うようになりました(笑


 昨年の5月頃に市から校歌のお話しがありました。12月が締め切りということだったので、それならばワンマンライブのあとなので子供にもさほど負担がかからないスケジュールでできるな、と思っていたのですが、ところがどっこい7/20の締めになってしまって(笑

 とてもやりたかったけど、ちょっと無理かもなぁってメールすると、「信じてる!」って返ってきました(笑それでもスケジュール的に無理かもとギリギリまで諦めていたのですが、締め切り三日前に主人と息子に「三日ください」と言いホテルにこもり結局やってしまいました。

 ホテルから戻って眠っている息子の顔を見るとホッとしました。翌朝、目覚めた息子に「おはよう!」と言うと、「おはようございます。知らないおばさん。。」と言われました(笑)今だから笑えるけれど。。

子育てしながら仕事をするって、想像を遥かにこえて甘くないことでした。


 去年の夏から息子が元気に学校へ行くところまでしたか想像できてなくて、

それだけを思って過ごしてきましたが、急に今年のゴールデンウィーク明けに、「あれ…?わたし今時間ある!仕事しなくちゃ!」って。断っていたライブも夏くらいから予定を入れ始めました。




中学の思い出


 小学校の校歌も好きでしたが、中学校の校歌はずっと残っていて、東京へ出てからもはな歌でよく歌ってました。


 中学時代は人生の中でも濃密で、おてんばの割には心は敏感で大変だったなぁと思います。やっぱり人と比べたり人の気持ちに影響されたり、先輩後輩の間で、自分が確立できてなくて日和見的だったり、強い自分弱い自分があったり。。

高校に入ったら一掃されて楽しいばかりでしたけど。


 2年生の時に関東から転校生が来て、空いていたわたしの隣の席に彼女が座り、それが転機だったかな。心がゆるせる友達が一人いるって、こんなに楽しいことなのかと、勉強しに行くというより友達と会うために学校へ行っていました。

誕生日が一日違いで、わたしも小学校5年生のときに横須賀から妙高へ引っ越して来たので、彼女の関東の香りとか、相い通じるものがあったのかな。先日も遊びに来て泊まって行き、いまも繋がっています。


 今思えばふつうはできない体験をしていて、当時、自宅から東赤倉までは車で送迎してもらうか妙高高原駅までは歩いてバスで帰るしかなかったので、バス停まで赤倉の人たちと一列になって寒くて無言で雪の中をひたすら歩く通学路、新赤倉三叉路から東赤倉の自宅までの吹雪の通学路を校歌を作る過程でまた思い返してました。妙高高原の小中学校へ通っている子しか味わえないことで、よく生きていたなぁって思いますね。


 スキーが大好きで、時間があればいつもゲレンデにいました。中学時代はスキー人口が多い時代で、母はペンションをしていて忙しく、手伝いも楽しかったです。

学校で行き詰まっているようなときもゲレンデに行けば誰かに会えて、馴染みのパトロールのお兄さんとか住み込みで来ている大学生、食堂へ行けば「おまん、昨日は来なかったね」とおばちゃんに声をかけてもらったり、おやつももらっていました(笑)

 ゲレンデが逃げ場というか息抜きになっていて、もしかすると家と学校の往復だけでは多感なあの頃持たなかったかもしれないですね。

スキーが友達で、友達は人間だけではない感覚をその頃持ったのかな、、それは校歌作りに役立ちました。中学生の頃は、友達が多いとか少ないとかにプレッシャーがありましたが、友達100人もいいけれど、やっぱりわたしはスキーも友達だったし、ピアノが好きな子はピアノが友達、読書が好きな子は本が友達、

違う世界へ行けるわけですから、そういう場や存在が一つあると多感な頃も乗り越えられるかな。



妙高高原小学校校歌について


 市から依頼がありましたが、当初はコンペでした。

 数年前に妙高市特別支援学校の校歌も作らせていただき、そのときとてもやりがいと感動があったので、小学校の校歌もぜひやりたかったですが、今はマネージャーもなくフリーで母ですので、物理的に、体力的に不安で、お受けするのに躊躇しました。でも、小学校の成長期の6年間、校歌は何度も歌うので体に残りますね。

 在学中も卒業後も子供たちを支えると思うので、子供たちのお守りになるような歌を忍ばせたいと思い、やはりやらずにはいられませんでした。


"昨日のため息も 明日の汗も

虹になって 花になって いつかわたしに よみがえる"


このフレーズは、妙高高原で暮らした強みで、高原っ子は無意識に持っているのではないかと。例えば絶望的な日もあり、悲しくて涙がどうにもとまらないときなんかは、"大丈夫!この涙は雲になって雪になって森に沈んでいつか笹ヶ峰の宇棚の清水になってまた湧くから"なんて思っていたりします。


"ぼくたちは わたしたちは いつだって大好きでいよう

誰かを想うように 自分を大好きでいるよ"


わたし自身も、子供たちも、先生も、このフレーズを歌うたびに自分を取り戻せるようにと思いました。妙高の雪や水の流れのようにここ(このフレーズ)に気持ちが帰れるといいですね。

子供たちは軽やかに歌っています。



子育て奮闘中⁈


 最初の「今は何をされてますか?」の質問に「母親をしています。」とどうして言えないのかなと今思いました。お母さんって一番の大切で大変な"お母さん業"なのに。。せっかく母親になれて子育てができているのに、どうして"仕事しなくちゃ!"って思っちゃうのかな、、こんなに楽しくて尊くて濃密な時間は他にないかもしれないのに、出産後仕事復帰を焦りました。自分としては女性も社会人であった方がいいと思っていますが、一定の期間は余裕を持って子育てできるといいなと思います。頭はひとつですから、忙しくなると子供にイライラしてしまうし、要らないプレッシャーがかかってしまうのがなんとももったいないなって。。


 親がなくても子は育つと言いますが、親だけでは育たないんだなと。。

例えば買い物へ行って、子供が床に寝転んでイヤイヤ状態で、わたしが放心状態になっていた時に、「みんなおんなじ」とか声かけてもらうと力が抜けました。スーパーで息子に「コラァっ!」なんて大きな声出しちゃったりして、次の日に「昨日見たよ」なんて言われてハッとしたり、鬼みたいな顔になっていた自分を一緒に笑ってもらって正気に戻ったり(笑)

 怒りすぎたかも…なんて落ち込んでいるときにたまたま兄から電話もらって「どうしたの?」なんて言ってもらって素直な気持ちを話すと「お前なんて、母さんの1/1000にも満たないぞ!」なんて慰められ励まされ自分に戻れます。

わたしは活発だったけれど神経が細くよく具合悪くなって、その度に母はよく看病してくれていたな、、って、息子が熱出す度に思い出してました。母になって先輩ママの同級生たちにも助けてもらっています。


妙高で好きな場所は?


 実家のあった東赤倉の場所です。いいところだったと、今思います。



[後記]

 いくのさんの歌を聞くと妙高の風景や音が浮かんできます。実際、SNSで発信されている妙高での暮らしが、また面白い。最近出された「よよよ堂」のグッズも結構気になる面白さ。作詞作曲の妙高高原小学校校歌も聞いてみたいですね。機会があれば、小学生が歌う校歌を聞きに学校行事へお出かけください。「Hello Myoko」卒業生のエッセイ自薦他薦大募集です。インタビュー形式も行っています。是非myokokogen.jhs@gmail.comまでご一報ください。














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