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Hello MyokoNo.28    城戸 陽二さん

 今回は1983年卒業の城戸 陽二 (きど ようじ)さんです。そうです!現妙高市長です。R4年11月25日に市長就任後、1年が経ち市長として、そしてもちろん妙高高原中卒業生としてのお話をお聞きしました。



城戸 陽二

昭和42年4月6日生まれ 56歳 

職業:市長

妙高高原田口在住


中学校の思い出


 今でも遊んでいるのは中学校の友人で、選挙の時も大勢の同級生に手伝ってもらったり応援をしてもらいました。1学年が3クラス120名くらいで人数もちょうど良かったですね。みんなの顔も分かるし、今も残って住んでいる人もいて、普段会うのは同級生です。相談できるのも中学校時代の友人かな。


 部活は吹部で、子供の頃から貧血で体が弱かったんです。運動会、水泳大会、全校朝礼で必ず倒れていたんで、肺活量を鍛えるために運動系ではなく、小学校から吹奏楽をやっていたので、中学校も自動的に吹部へ。小学校ではマーチングをやってましたが、中学校ではなくて、それでも3年連続県大会出場しました。当時はどの部活動より練習時間が長かったです。ロングトーンを鍛えるために当時はまず校舎の周りを3周走って腹筋をしていました。それが思い出になってますね。小学校の頃は手が長い理由でトロンボーンを、中学校では唇が厚いからチューバ担当になりました。

 現高原中の14名でのマーチングはよくやっているなと感心しました。

 どのクラブも人数が減ってきて、合同になったり、人数が少ないとかわいそうだね。やりたいこともやれないし。部活が任意性になって、考え方も変わってきてますね。


市長立候補のきっかけは?


 最初のきっかけは、私の住んでいる妙高高原田口では、昔は常会50世帯の下に班10世帯があったんですが、今は半分になり、一人暮らしの世帯も多く班長の回る順番も早くなって、空き家も増えてきてこのままでは無くなるかなと危機感を覚えました。どこの地区も同じで、市役所職員でできることも限られているので、何か出来るかなと一大奮起しました。一旦市役所を退職して、無職覚悟で挑みました。


市長として


 自分の中で思っている事は、人口減少の中で何か出来ないかなと。それと移住に力を入れていかないといけない。

 一年経って、決断しないといけない事が多いので、責任感は覚悟していた以上です。市役所を動かす大枠は誰がやっても変わらない、逆にコロコロ変わってはいけない。今までやって来たことを磨き上げるのが大事。ただし、やり方は若返ったかなと。市長への手紙もたくさん意見を頂いてます。


 私の中では、市政への方向は変わらないけど、トップダウンはやらず下から上がってきたものを否定せずやってもらうようにしています。周りから見れば、物足りないと批判する声もあるかもしれないが、それはその人の受け止め方であって、妙高をずっと残さないといけないので、職員を含めて、下の人達から頑張ってもらわないと残せないと思ってます。ボトムアップでアイデアや知恵を出してもらってそれを拾い上げ、時にはつまみ食いをし(笑)そういう姿勢で行きたいと思ってます。時代によって求められるリーダー像も変化している中で、今は、独りの決断で物事が上手くいくような時代でもないので、色んな人から様々な意見を聞いていきたいです。


 妙高市は人口減少は止められないけど、3万人って何をやるにしてもコンパクトで丁度いいです。自分の政策の一つでもある11月からの「みんなの応援券」も市民全員に配っても予算的にはちょうどいいんです。地域みんなで地域事業を助ける仕組みを作るために、全世帯に商品券を買ってもらって、妙高で使える商品券でみんなで地域を支えましょうという気持ちが大切かなと。上越では、直接事業者へ補助金を出して支援しているので、妙高市の事業者から意見を言われます。でも世帯も家計的に大変な面もあるので、それなら全世帯で事業所を支えてもらうやり方も良いかなと。市役所の中心は、「福祉と税」と思っているので、きちんと税を負担していただける人には負担してもらって、それを還元するのが福祉。これは大事にしていきたいです。


妙高の子供たちへの想い


 私は子供がいないので、子育てを語っちゃいけないと言われるんですが、英語教育ではALTの活動、GIGAスクール構想、妙高高原中学校ではツェルマットの生徒と遠隔でやりとりしたりしていますね。子供のうちから海外の人と話す機会や可能性をどんどん広げていってもらいたいです。人口減少を課題としている市長としては不適格な発言ですが、ここに止まらないで一度は出て貰いたい。世界にも行って貰いたい。勉強でもビジネスでも何でもいいから。年を取ってからでも帰って来て貰いたい。今の子供達は世界を相手にしているから、誰でも可能性を広げて貰いたいと思っています。身近に外国人がいる環境にもなってきているので、子供たちにも色んな考えと接してもらって違う生活感、価値観、文化感を妙高へ持ち帰って貰いたいです。一度出たら妙高の良さも分かるし再認識できるかも。住まなくても妙高との関係を持って欲しいですね。


市長が想い描く妙高市は?


 変えるべき事と変えないべき事を守りたいと思っています。妙高山や自然は大きく変わってはいけない事であり、様々な人々の生活の中でも変えちゃいけない仕組みは変えてはいけないし、時代の変化に合わせてやるべき事は多少の反対があっても変えていかないといけないと心に決めてやろうと思っています。


杉の原、斑尾とシンガポールの開発が話題になっていますが?


 変わらなければいけないと思っている事は、今まで以上に人が来ないと妙高の経済は発展しないので、そういう意味では、今まで通りでいいという考えは変えてもらわないといけないし、自分も努力して市民に理解してもらうし、妙高高原でいえば、7,000人から5,000人の人口減少の中、同じように経済を回すには、人に来てもらうしかないです。観光客でもいいし若者でもいいし考え方を変えなくてはいけません。その中で何を守らなければいけないか線を引かなければいけません。外国資本が入ることで開発が進むと思います。さらに海外から人が来ると小中学校時代から英語を学び、働く場所も増えますよ。行政としては地域と共存する事を大事にしたいです。企業としては妙高で労働人口を3,000人増やしたいと聞いているので、海外から多種多様な人材が雇用され、家族も子どもも増えると予想されます。共通言語の英語は必要になってきます。


 生活様式は変化しても自然の景色は変わらない変えない、新しい妙高高原になると思います。観光地の影響か、外国人に対しての受け入れはありますね。外国人の施設も増えましたが、昔ながらのお店も頑張って貰いたいです。


 妙高高原の人々には、自然を残すのは当たり前ですが、生活の変化を恐れないで自信を持って欲しいですね。


妙高で好きな場所は?


 妙高高原駅を降り立った時の空気感が好きです。

 多くの人が「今日の天気は?」と妙高山を見ると思いますよ。自分の中のmy妙高山は、そこから見る景色だから、新井から見る妙高山も素晴らしい。


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